銀紗の砂浜を、満月の優しい光がその名にふさわしい銀に染め上げる。
ならず者や、最低、昼間のような者たちに遭遇する事を覚悟していたネスティは、静かな浜の景色にとりあえず、緊張するのをやめた。
ざっと辺りを見回せば、探していた人はすぐに見つかる。
彼女は桟橋につないであるボートに座って釣り糸をたらしていた。
「トリス」
名前を呼べば、彼女はすぐに振り返る。
「……あ」
「あ、じゃないだろう?」
まったく……と続けそうになり、やめた。
今は説教をしに来た訳ではないのだから。
たてかけた眉を元に戻し、桟橋の上、トリスの頭上で立ち止まった。
自分に影を落としてくる彼を、トリスは見上げて
「……座れば?」
と、自分の隣を指差した。
少しためらってから、トリスと少し距離をとりつつ、ネスティは船に乗り込んで座った。
それに気が着いて、トリスは微妙な表情をする。
しかしその表情は、すぐに消えた。
「良かった。来てくれたんだね」
「まるで僕が来るのを予想していたような言い方だな」
「ん、だってフォルテにそう頼んだから……本当に来てくれるかどうかは微妙だったけど」
「なるほどな。彼が僕にああいったのは、そういう裏があったのか」
「話、したかったから。ネスと、二人で」
「……話?」
トリスはうん、と頷き。
「話してもらいたかったんだ。ネスの、本当の気持ち」
「?」
「ネスは一族とかそういう事であたしを責める気はないっていってくれたけど、ネスはあたしの事、どう思ってるのかなって。……無理して一緒に居るんじゃないかなって、どうしても思っちゃって」
「別に、君が嫌いというわけじゃないが」
「そう? でも、無理はしてるよね」
「…………」
「無理してる事、全部は話せないと思う。でも、少しでいいからあたし、ネスの事が知りたいよ。ネスの考えてる事、ネスの思う事、何でもいい。覚悟はできてるから……話して、くれる?」
そしてトリスはネスティと瞳をあわせた。
その表情は真剣。
しばらく見つめあって、不意に小さな笑いを、ネスティは漏らした。
「分かった。それで君が満足するのなら――話すよ」
「――まずは、謝らせて欲しい……すまない」
「え……?」
「ずっと、謝りたいと思っていた。……僕が、勇気を持って君の問いかけに答えていれば、少なくともあんな最悪の形で、君が傷つけられる事はなかったのだからな」
「ネス……」
「僕は君を恨んだりはしていないと言ったが、本当はな……初めて出会った頃は、僕は君を憎いと思ってたんだ。何も知らず、自由に振舞う君がうらやましくて、わざと冷たく当たっていた事だってあったんだ」
「うん……知ってたよ」
どちらともなく、淡い苦笑がもれた。
「でも、君はずっと僕に声をかけて付き纏ったんだよな。懲りもせずに」
「そんな言い方ってないんじゃない?」
「事実だから、しょうがないだろう」
「むう……」
「でもな、君がそうやってずっと笑顔を向けてくれてたから、機械のように生きていた僕は人としての感情を持てたんだよ」
ふと、トリスは頬を膨らますのをやめ、真顔になった。
「それは、あたしだって同じだよ。ネスがずっと側に居て見守ってくれてたから、あたしは一人じゃないって気がつけたんだもの」
そう言ってから、トリスはネスティのほうをそっと見た。彼は彼女の方を見ずに海の方へと視線を投げかけている。
だからトリスは竿から手を離し、彼の顔に触れた。
びくりとネスティが肩を震わせるのもかまわず、そのまま半強制的に自分の方へ顔を向かせる。
「ネス、話してる時はあたしを見てよ。あたしは遠い所じゃなくて、ネスの隣に居るんだよ?」
「…………」
「ネスは最近ずっとそうだよね。あたしから離れようとしてる」
「……僕が離れるんじゃない。君が遠ざかるんだ」
そう言ったネスティの目は辛そうで、今にも泣き出しそうに見えた。
「ネス?」
「今日、君も見ただろう? 僕は人間じゃない」
彼は荒々しい動きで自分の衣服の襟を引き下げる。
露わになった鋼が月光を反射して、冷たく光った。
「師範に聞いただろう。僕は投薬を受けなければ生きていく事はできない。つまり、僕はこの世界にとっては異質の存在という訳さ」
――出来損ないの、機械人形め。
繰り返し言われてきた言葉。
それは、いくら昔から言われ慣れた言葉で、自分の口から出た言葉だったとしても、自分をえぐる鋭さは変わりようがなかった。
どんなに年と代を重ね、例え子孫がこの世界で生まれ育ったのだとしても、体に流れる血の由縁を知る者達は、自分達をこの世界の一員とすることを許さなかった。
最後のひとりとなろうとも、自分達は異質であり、拒まれる存在なのだとその言葉は無情に宣言してくる。
「……異質だろうとネスはネスじゃない。同じだよ? ネスがどんな種族でも、あたし達には関係ないよ」
「……そうかもしれないな。でもなトリス……」
ネスティの声は、限りなく低かった。
「そうは思わない人だって、いるんだよ」
「…………」
「最後まで僕は君について行くと決めたし、命令や立場でなく、僕の意思でそうしたいとも思ってる。でも、それは君を危険に晒す事でもあるんだ」
「それは……あたしが禁忌の森に関わったから?」
禁忌の森に行く前、ネスティはトリスに「君がどうしてもあの森に行くというのなら、僕は君を殺さなくてはならなくなる」と言った。
「ネスは言ったよね。自分が殺せなかったとしても、他の誰かが殺しにやってくるって言ってたよね。そういう事なの? 危険って」
「…………」
苦い沈黙は、何よりの肯定の証。
トリスは吐息。ネスティも顔から手を離す。
ネスティも一息。そのままと息に零すようにして言葉を告げた。
「僕が君にしてやれる事はもう何も残ってない。君にとって僕はもう何の必要性もないのに、僕は君の側に居たいって思うんだ。おかしいだろう? 本来なら、離れた方が君のためになるのに」
「……おかしく、ないよ」
不意に両手を握られて、ネスティは驚いた。
「ね、ネス? あたしがこの前から怖がってた事、知ってる?」
「……いや」
困惑気味のネスティの手を握る力を強め、少し眉を詰めてトリスは言葉を続けた。
「あたしね、ネスがどっかにいっちゃうんじゃないかって、それが怖かったの」
「トリス……」
「してやれる事が残ってないって言うんなら、側に居て。離れたりなんかしないで……それが、あたしの為になる事だよ」
「しかし……」
「何とかなるよ。物事はいい方向に考えないと、ね?」
「……君のは楽観的過ぎるだけだろう」
呆れたような声に、トリスはむくれた。
「そんな事ないわよ。あたし達の未来は、まだこれからなんだから」
トリスの言った言葉にネスティは聴き覚えがあった、
それは幼かった二人に、師であるラウルが事あるごとに言い聞かせていた言葉。
「お前たちの未来は、まだまだこれからなんじゃからな」
「あたしもねすも一人じゃないよ。皆がいてくれる。だからきっとなんとかなるよ。あたしはいつ来るかわからない事に怯えるより、今確かにいるネスがいなくなっちゃう方が、何倍も怖いんだから」
――あの時はそんな物あるもんか、と思ってたけれど……
「だから……これからも一緒に居てね、ネス?」
「ああ……」
――今なら、信じてもいい。
そう思いながら、ネスティはトリスに頷いた。
それからネスティは、常にない首元の涼しさに、ハイネックの襟が引き下げたままだったのに気がついた。
元に戻そうと手をやり、ふとトリスの視線が、昼間と同じく迷いを持って、そこに向けられているのに気がついた。
「どうした?」
「ん……あのね、ネス……さわってみても、いいかな?」
そういうだったのか、と彼は苦笑。
「構わないよ」
襟から手を外すと、そっとトリスが覗き込んでくる。
自分のものとは違う、暖かな手が首筋に触れた。
「……あったかい。ネスの呼吸に合わせて、ちゃんと動いてる」
指先が、首元の鋼を辿っていく感触がする。
「冷たくない。心臓にあわせて、トクトク言ってる……ちゃんと生きてるよ」
そう言ってトリスは顔を上げ、ネスティと目を合わせた。
「やっぱり、どこも変わらないよ。あたし達と同じだよ。ネスは」
「…………」
「気にしないで……ってのは無理かも知れないけど、違うから、とかそういう事で一歩ひいちゃったりとか、しないで……あたしは全然気にしないからさっきも言ったけど、ネスはネスなんだから」
「……ありがとう、トリス」
トリスは言われた言葉の意味が一瞬理解できなかったらしい。
? と疑問符を浮かべたあと、湯気が出そうなくらいに赤面した。
「そ、そんなお礼を言われるような事はしてないよぉっ!」
「! トリス、いきなり立つと……うわぁ?!」
「きゃあ!」
意外な事を言われた驚きと気恥ずかしさで混乱したトリスはいきなり立ち上がった。
二人も乗り込んで、不安定だったボートが、そんないきなりの動きに耐えられる筈もなく。
二人は仲良く海の中に放り出されたのであった。
水深が、どうにか足が着く位であったのは、不幸中の幸いか。
「……うぅ、ひどい目にあったわ」
砂浜までどうにかたどり着き、濡れた髪書き上げてトリスは呟き、ネスティも鋭い目で睨み付けられて肩をすくめた。
「君はバカか。あの状況で立つ奴があるか。もっと状況を考えて動け」
「むう……」
今回ばかりは全面的に自分が悪いので何も言い返せない。
ネスティは大仰に肩をすくめ、ため息。
「やれやれ、前言撤回だな、本当に僕がついてないと、危なっかしくて見てられない」
「え?!」
「二度は言わない。帰るぞ」
「ちょっと待って、シャムロックさんのカンテラが……」
「海の底だろうな。責任持って弁償しておけよ?」
「うう……」
思いっきりうなだれるトリス。
と、その右手をネスティが握った。
「え?」
「明かりがないんじゃ、足元が危ないからな。手を放すなよ」
「え、でも……」
今日は満月で、明るいじゃない。
そう言い掛けて、これは彼なりの気遣いと歩み寄りなのだと気がついた。
なぜなら、ちらりと見えたネスティの頬が少し赤かったから。
だから、代わりに小さく頷いて、大人しく歩き出す。
「こうやって、手をつないで帰るのって、実はすごく久しぶりじゃない?」
「嫌ならやめるが」
「暗くて危ないから手を放すなって言ったのは、誰だっけー?」
「む……」
言葉に詰まるネスティに、あははと笑うトリス。
ネスティはいよいよ頬を赤く染めて、向こうを向いてしまった。
その様子に、くすくすと笑いを収めずに、トリスは小さく彼の背中に語りかけた。
「ねえ、ネス? 今日みたいに、少しずつでいいから、二人でわだかまり、消していこうね」
答えはなかったが、代わりに少し繋ぐ手に力が込められ歩みがゆっくりとなって。
二人の帰りは、すこし、遅くなった。
終わったー!
これが初のネストリです。18話の着替えイベントより派生。今の私にはこれが精一杯の甘め。
不必要に総受けっぽいですが、それは単に「人の恋路を邪魔する奴はツヴァイレライに蹴られて死んじまえ」をやりたかった為。他意はありません。
私はどうやら総受けには向いてないようです。書いててキャラクターが壊れる壊れる。こんなんアメルじゃないと何度泣いた事か。
……面白かったですけど、書いてる間は。
BGMはやっぱり宇多田さんの「FINAL DISTANCE」から。まさに揺れ動くネストリアンド受験生な私のラストスパート曲でした。思いで深いです。
どーでも良いのですがマグナに見られたときのほうが、トリスに見られたときよりも慌ててるのは何故でしょう?
さらにどーでもいいですが、リューグとシャムロックさんたちの顛末
次の日、アメル最強ならぬ最凶伝説が仲間内にひそかな話題となっていたり、
リュー具とシャムロックが顔に見事な馬蹄型の痣をつけて、部屋の隅でがたがた震えていたりしたのはまた別の話。
なんだかなあ……